新卒のプログラマーとして入社した2年間の思い出

体験談

自分は今はWEBプログラマーの社会人として生活しているが、新卒で入った会社はWEB系ではなく、ソフト開発のプログラマだった。

結局その会社は入社後丸2年で辞めてしまったが、その会社に入ったことは後悔していないし、出会えてよかった会社だと今でもずっと思っている。

今でも時折その会社を思い出し、ノスタルジーに浸ることがある。

今年の新社会人の参考…とまでは言うつもりはないけど、僕が初めて社会人を経験した2年間の話をここにまとめようと思う。

就活から内定まで

就活ノイローゼ

2012年の夏。僕は愛知県の名古屋市で就活をセコセコこなしていた。

元々WEB系の企業を中心に応募をしていたが、なかなか内定まで至らなく、苦戦をしていた。

あの頃は「名古屋はWEB系の企業が少ないし…」と自己正当化の言い訳をしていたが、今思えば自分の実力不足でしかなかった。

就職活動に苦戦していた中、僕を採用してくれたのは従業員30名前後の中小企業だった。
詳しくは言えないが、Windowsのソフトの開発に携われる会社だ。

求めるWEB系の業務ができる会社ではなかったが、正直日々の就活に嫌気がさしていた自分は、早くこの地獄に終止符を打ちたく、そこの会社に内定を決めた。
今思えば安直だったと思うが、結果的に貴重な経験ができる会社に巡り合うことが出来たと思う。

その会社は、飛び込みで中小企業に「日々の業務を効率化するためのソフト開発」の営業をかけ、契約が取れたら顧客の求める内容を元に納期を決め、システム開発を行う、よくあるフローだ。
僕はそこのシステム開発を行うプログラマーとして採用された。

実家からは到底通える距離ではないため、入社と同時に一人暮らしも始めた。

そして2013年4月1日。

僕は新入社員として、会社の門を開けた。

新入社員として最初の一か月

新入社員

初めて新入社員として覗いた会社の中は、やはり学生とは違う、社会人としての空気を皆が持っていた。

1年早く入社した先輩も、もう10年先輩のような貫禄を感じ、やはり社会人は違うなと思っていた。

初めの1~2週間は、会社の歴史や業務の説明が主で、東京まで新幹線で移動してマナー講習なども受けた。

次に先輩同行のもと、実際にシステムを納品したお客さんのところに挨拶周りを行った。

「契約は営業が行うし、打ち合わせはSEが行うから、プログラマーの君は中々お客さんと顔を合わせる機会がない。今のうちにお客さんがどんな風にうちのソフトを使っているか、直接見て何かを感じ取って欲しい。」

と先輩は言っていた。

当時はなんとも思わなかったが、時間をかけて貴重な機会を設けてくれたいい会社だと改めて思った。

そして一通り研修が終わり、ここからプログラマーとしての研修が始まった。

初めての転職活動

ただ、ここで僕はある強いギャップを感じてしまった。

そこのプログラム言語は、いわゆるC#やJavaなど汎用的に使われている言語ではなく、その会社独自の言語で書くものだった。(BASICに近い)

つまり、ここで得た知識はこの会社でしか生かせないのでは、と考えてしまった。

実際それが僕にとってかなりショックで、これから何年、何十年もかけてこの言語を極めていくのか、とか考えるようになってしまった。

その考えが大きくなり、生意気にも僕は、入社一か月にしてこっそり転職活動をはじめていた。

今度こそWEB系の企業に、と強く思っていたのだが、元々そこで内定を取れないから今の状況があるわけで、やはり転職など出来るわけがなかった。

ただ、そこで転職のために応募したある企業の社長さんから、届いた不採用メールが、僕の考えを大きく変えた。

普通の不採用メールは、よくある「お祈りメール」なのだが、その会社は僕専用の文章を社長直々に書いた返信をくれたのだ。

会社が特定されないように一部は伏せるけど、下記の返信をくれたメールの原文ママ。

この度はご応募ありがとうございました。
株式会社〇〇〇〇の〇〇ともうします。

弊社にご応募いただきました事大変嬉しく光栄に思います。

しかし、残念ながら下記の理由により、今の段階では採用を見送らせていただきます。

■ デザイン・コーディングが実務レベルに達しておらず、実務レベルに達するまでに時間を要する事
■ 〇〇に関して実務レベルに達しておらず、実務レベルに達するまでに時間を要する事
■ 以上の事から今の弊社の業務で担当出来る仕事が大幅に制限されるため、
  売上増を見込めなり割に給与が出費として必要となるため
■ 弊社は常時即戦力しか募集していないわけではありませんが、
  育成枠は現在先日採用したスタッフで既に埋まっております。
育成スタッフは基本先述の通り赤字なので、
  現状で更に育成枠を増やしては業務が回らず会社が倒れてしまうため

とは言え、独自にいろいろ勉強して技術を身に着けている(のちょう)様には、是非今後も頑張っていただきたいと思います。

Web業界に就職したいとの事ですので、僭越ながら今後以下の事を意識してみてはと思います。

(※以下細かなアドバイス)

=== その他 ===

人によって感覚は違うと思いますが、就職してまだ間もないのにいきなり転職というのはあまり感心しません。
いくらウェブ業界に入りたいにせよ、そこまで早いとなると、採用側も「すぐ辞めるかもしれない」と思ってしまいます。実際採用時にもコストがかかるので、それですぐに辞められるとかなり痛いです。
どんな会社でもある程度学ぶべき事はありますので、プライベートな時間でウェブの勉強をしながら、焦らずじっくり転職活動に取り組んで下さい。

(のちょう)様が実力をつけて、そしてまだ転職先が決まっていなければ、
是非またご応募いただければと思います。

狭い業界ですのでいつかどこかでお会いする事もあると思いますが、
(のちょう)様の今後のご活躍を陰ながら応援いたします。

この返信を受け取り、僕はなんて浅い行動をしていたんだろうと痛感した。

プログラムの言語が気に入らず、それだけでこの会社には何の経験を得られないと決めつけ、転職活動していたのだから。

それ以外でも、社会人として出来る経験はあるはずだ、転職活動を開始するのはそれらを一通り経験した上で判断しても遅くはないじゃないか、と前向きに考えるようになった。

不採用メールでここまで気持ちが晴れやかになるのは珍しいと思うが、僕は今でもこのメールをくれた会社には感謝しているし、今後も忘れることはないと思う。

その後は転職活動は一旦忘れて、会社のプログラム言語の習得に精力を注いだ。

初めての担当案件

残業

プログラミング研修中は、簡単なプログラムの修正などを任されていた。

そして研修が終わり、新規のお客さんの案件を担当することになる。

担当というのは、契約したお客さんが欲しいソフトを、僕が担当者として1から開発する、ということだ。

僕はそこまで特にプログラミングで躓くことはなかったし、今回もそつなくこなせる自信があった。

が、それは甘かった。

考えが甘かったのは、担当を持つということは、「納期以内に必ず完成させる」必要があるということだ。

今まで先輩たちから回してもらったプログラムの修正などは、具体的な納期などはなく、ノープレッシャーの中でやらせてもらっていた。

しかし、契約したお客さんに対してのソフト納品の納期は、具体的に「〇月〇日」と決まっている。もちろん、間に合いませんでしたでは済まされない。契約とはそういうものだ。

そういった決められた時間の中で、決められた仕様のソフトを開発することが、僕にはまだ出来なかったのだ。

時間のプレッシャーもあり、僕は自分で決めた完成予定日から2日も遅れてしまった。
実際の納品日には間に合ったのだが、次の案件が既に決まっていたので、この遅れが徐々に尾を引いてくる。

先輩は「次はしっかり、スケジュールを決めておけよ」と指摘され、次の案件のスケジュールを決めたが、それも間に合わなかった。

そうしたことが何回も繰り返され、その遅れをフォローする先輩たちにも負担がかかっていた。

この頃になると先輩たちの目や言葉も厳しくなってくる。
もう研修も終わり、1社員としての働きを期待されているのだから当然なのだが。

苦戦している日々が続く中、ある日先輩から呼び出され、注意を受けた。

「あのな、時間をいくらでも使っていいのなら、いいソフトなんて誰でも作れるんだよ。」

続けて、予定はこの後も続くのだから、限られた時間の中で良いものが作るのがプロだ、と先輩は言っていた。僕はまだまだプロの水準には達していなかったのだ。

また、この頃から遅れを取り戻すための残業を行うようになった。

そして気づいたことがある。僕がいくら残業をしていても、先輩たちは先に帰る様子はない。というか僕より先に帰っているのを見たことがない。

ゆくゆくは僕も、ネットでよくあるあるエピソードとして語られる、IT残業戦士になっていくのかなと思い始めていた。

初めてのクレーム

クレーム

担当を受け持つようになってから苦戦しつつも折れずになんとか頑張っていた。

が、2013年11月某日、ある日僕の担当したお客さんからクレームの電話があった。

どうやら僕が作ったプログラムに重大なバグがあったらしく、作業ができないと相当お怒りだった。
受話器越しからもお客さんの怒号が社内に響いていた。

僕はプログラマーなのでお客さんと直接会ったことがなく、折り返しの電話は営業の人にかけてもらうことになった。

営業の人が慎重に言葉を選びつつ、ただただ謝罪する姿を僕は目の当たりにし、なんてことをしてしまったんだと泣きたくなったがグッと堪えた。

やがて電話が終わり、明日までに修正のプログラムを届ける運びとなった。

今すぐ、は到底できなかったので、明日までの猶予の時間を作ってくれたのは助かったが、それでも間に合うのかその時は分からなかった。

僕は必死でバグ取りに集中したが、なかなか終わらず、時間は刻々とすぎていった。
この時ほど時間の経過の早さを感じたことはなかった。

皆が帰り始める夜の22時になっても、作業が終わる気配はなかった。

やがて先輩から「仕事を回せ」と声をかけてくれて、一緒に手伝ってくれた。

結局修正が終わったのは日を跨いだ午前3時だった。もちろん先輩も終わるまで付き合ってくれた。

会社を閉めた後、先輩が僕のアパートまで車で送ってくれた。

午前3時まで何も食べていなかったので、途中コンビニに寄って先輩がおにぎりなどを買ってくれた。
その時、僕の心の中で溜めていた何かがあふれ、泣き出してしまった。

先輩はおちゃらけた感じで「泣くんじゃねえよ、気持ち悪いな!」とからかっていたが、それもまた先輩の優しさだと思うと涙が止まらなかった。

入社2年目とスマブラとの再会

そんなこんなで、僕はなんとか、日々納期に追われつつも会社の一員としてプログラム開発を続けていた。

この頃になると、もう残業が当たり前となり、定時は18時上がりなのだが基本的に22時~の退社が基本になっていた。

日が変わるまで残業をするのも「ザラ」にあった。

実際21時で上がると「今日は早いな」とか思い始めていたので、慣れとは怖いと思う。

ただ、傍から見ると劣悪な環境なのかもしれないが、転職したい、辞めたいとは思わなかった。

残業代はしっかり出ていたし、プログラミングもなんだかんだで楽しめていたし、上述の先輩の件含め、尊敬できる人たちが社内にいたからだ。

転職理由の第1位が「人間関係」らしいが、僕が1年間続けられたのも人間関係に恵まれていたからだと強く思う。

この頃になると後輩も出来て頼られたり、先輩たちからも信頼を持って仕事を任されたりしていたので、なんだかんだ居心地も良かった。

そんな中、2014年9月、あるソフトの発売の情報を知る。

「大乱闘スマッシュブラザーズ for 3DS」だ。

僕はスマブラシリーズが大好きで、初作品の64からずっと続けており、この新作も絶対プレイしたいと考えていた。

思えば社会人になってから、まともにゲームなんかプレイしようと思わなかったけど、スマブラなら話は別だ。

そして実際、3DSのスマブラをプレイして、やっぱり楽しいなと強く思った。

スマブラをもっと楽しむために、家でスマブラのサイトなどをいろいろ巡ったりする時間が増えた。

そんなネットサーフィンを続けていると、元々WEB系を志望していた自分は、「自分もスマブラのサイトを作れないかな」とフッと思い始め、それを行動に起こした。

大体22~23時頃に会社から家に戻ると、そこから2時間ほどWEBサイトの開発を進めてみた。

大体2週間くらいで出来上がった。

出来上がったサイトは、スマブラの対戦相手を探すサービス「スマメイト」。

スマブラの対戦に特化して交流をするサービスだ。

⇒スマメイト

あまりに機能が簡素(※)だったため、「こんなの使われるのかな」と思いつつ、ダメ元でツイートしてみると、大反響だった。
※当時は今の5%くらいのボリュームしかない低クオリティだった

その反響は、あまりのアクセスに借りていたレンタルサーバーが落ちるほどだ。

需要とサービスの質があまりに違っていたので、公開直後はサイトの修正に追われたりもしたが、それはとても楽しく有意義な時間だった。

ここで僕はWEB系の魅力を改めて知ることになる。

僕が会社で開発したソフトは、喜んでもらえるのはそのお客さんだけだ。

でも、WEBで開発したサイトは、日本中、いや世界中の人が利用でき、多くの人に影響を与えることが出来る。

その「自分が作ったものを認めてくれる人数」が、後者のほうが圧倒的に多いことが、僕にとっては重要だった。

スマメイトを通じて、ずっと前に置いておいた「WEB系に関わりたい」という気持ちが大きく膨れ上がることになった。

2回目の転職活動

僕は意を決して、2回目の転職活動を行うことにした。

今の会社には申し訳ないが、僕のWEB系に関わりたいという情熱は、今の会社の恩を上回っていた。

1年前の当時とは異なり、スキルが向上していたことと、社会人経験を経て面接の受け答えなども余裕を持ってできるようになっており、あっさりWEB系の企業に内定が決まった。

ただ、良い人たちに囲まれた今の会社を離れるのも、かなり抵抗があったのも事実だ。

2015年2月、僕は上司に会社を辞めたいという旨を伝えたが、複数人の上司に囲まれて引き留めにあった。

「今君を失うのは正直嫌だ」「うちでもWEB系の仕事ができる部門を作っても良い」

などとありがたい言葉も受け取ったが、決意は変わらなかった。

やがて退職が正式に決まり、引き継ぎなどもあり僕は2カ月先の3月31日付で退職することとなった。

退職までのお仕事

退職届

退職が決まったが、現在のプログラマー全体の進捗が押していることもあり、僕は3月まで新規の案件を担当していた。

こんな忙しい中に退職を申し出たのは申し訳ないと思う。

実際先輩や上司はすこしピリピリしていた。心なしか僕を見る目も冷たく感じるようになった。

社長からは僕はいないものとして扱われていた。
社長の退職すると決まった人に対しての風当たりは強かった。

そして3月31日、最後の出社日。

この日も何事もなく、普通に業務を終えるんだろうと思っていたが、事務の子たちから一人ひとり手紙をくれた。

実際事務の人たちとは電話対応などで話すことも多く、協力することも多々あり、こうした感謝を形にして送り出してくれるのは嬉しかった。

一方で先輩のプログラマーなどは今まで通りだ。
最終日は、僕の引き継ぎもあり滅茶苦茶忙しくさせていたので、何かを求めるのも失礼な話だ。

最後に「ありがとうございました。」とみんなに伝え、会社を出た。

家に着いた後、会社で使っていたタスク管理アプリ「チャットワーク」から通知があった。

もう会社を辞めたのだから、消さなくてはいけないと思いつつ、最後に先輩からメッセージが届いていることを知った。

メッセージにはこう書かれていた。

お疲れ様!

(のちょう)、2年間俺についてきてくれてありがとう。
最初はこいつ大丈夫かなとか思っていたけど(笑)
成長した後のお前のプログラムは信用できたよ。

正直俺も、お前が辞めて今が一番キツイ時期だけど、何とか頑張ってみるよ。
修行だな、俺にとっても。

だからお前も負けずに、次の会社でも頑張れよ!

最後の先輩の言葉。

2013年4月1日~2015年3月31日の丸2年間、お世話になった会社だ。

一人暮らしだったので、この2年間、会社の人と過ごしてきた時間は家族よりも圧倒的に長い。

僕は先輩との、会社との別れを実感し、到底人前では出来ないような嗚咽をしつつ号泣した。

本当に泣き虫だなと思う。


これが、僕がプログラマーとして入社し、経験した2年間だ。

今では辛いことがあるたびに、この会社の思い出を糧に頑張っている。

WEB系を学ぶことはなかったものの「社会人として」「プログラマーとして」の必要なことは、この会社で大きく学べたと思う。
転職したことは後悔していないが、もしかしたらまだまだこの会社で学べたことも多かったかもしれない、とふと思うことがある。

いつかはこの会社の先輩のように、人に尊敬され、影響を与えられる人間になりたい、と強く思っている。

以上、新卒のプログラマーとして入社した2年間の思い出、でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました